かがやん写真館

撮ってきた写真に 言葉を添えて…。

アレのお礼参りへ…その2

2023年11月19日。

アレのお礼参りといいつつも…。

山の紅葉のさまを観れたらええなと思いつつ…、信貴山朝護孫子寺へ。

しかし、山全体というよりは箇所箇所で紅葉中であった。

うん。

でも、天気が良くてよかったのだ。

ありがとう。

 

 

前回の行きは、高安山方面からケーブルカーとバスを利用し向かい。帰りは、信貴大橋からバスに乗り、王寺駅から帰宅した。

 

ケーブルカーは朝一番でも9時台だったので、もうちと早く行きたいと思ったわしは今回。王寺駅からバスで向かうルートを選択。

 

王寺駅に着いた私は、前回の帰りのことを思い出し。バスを降りたトコへ意気揚々とバス乗り場へと向かったのであった。

 

しかしながら。私が乗りべきバスは、道の向こうに停車しており。私が立つ道を、どのようにつたっていってもバスにはたどり着けないご様子。どうやら連絡橋を渡らねばならぬようで、バスが発車する時刻が刻々と迫る中、慌てて来た道を戻る。

 

バス乗り場。

駅の改札を出て左。

歩いてすぐの階段を降りてはいけない。

コレは罠だ。

そのちょい先の連絡路を渡るべし。

 

何事も深く考えず。なんとな~く行っちゃいけないのだ。

キチンと小さめの看板もバス乗り場を教えてくれているではないか。思慮深く、周りを見て確認していけば、焦って走って乗り継ぎのバスへ行かずに済んだのである。

 

でも、

ま、

NAVITIMEで調べていたバスにはキチンとご乗車でき、無事に発車オーライとなったのであった。

 

はい。

ここで、このペースで話を書いて行くと、またまた『つづき』となってしまうので、話と関係なく。撮った写真を乗っけていくので、ご容赦ください。

では、発車オ~ライ。

 

 

バスは満席状態だったので、私は立って向かうことになった。

 

行楽シーズンである。紅葉も見頃の時季となれば、そこそこ人がいるだろなとは思っていた。ギュウギュウでないだけマシなのだ。

 

私が慌てて乗車する時。私がご乗車するバスの後ろにもう一台のバス。そして乗り場には数十名の子供らと、引率する大人数名が立っていた。バスがいっぱいで全員乗れないので待機しているのだろう。かわいそうに。私は身軽な独り身だから。お構いなしに遠慮なくご乗車である。ラッキー!

 

バスは進み。

途中の信貴山口駅だかなんだかというトコで、数十名の方がご乗車。

見事に超満員御礼である。

 

こういう時季だし、普段使いの方もおられるのだから仕方ないのだ。

ココまで来て、満員が嫌だから帰るなんてことできない。

我慢なのだ。

 

してしばらく。

バス停に停車するごとに、すぐ後ろにバスがいるのが見えた。

 

違う路線から信貴山へ向かうバスなんだろうな。

そう思っていた。

 

 

そして、とあるバス停で、バスがグルリとターンして道に戻るトコがあるのだけれど、そこで、すぐ後ろのバスとすれ違い。その時にすれ違うバスの中を見ることが出来た。

 

 

あれ?

見覚えのある子ども達の団体…。

 

しかも彼らは悠々と座り。バスは空席も目立つご様子であった。

 

 

そうである。

私が乗車したバスの後ろにいたバスであった。

 

 

やっちまったなー。

 

私が乗るバスに、バス停で待つ人がみんな乗り込み。そのあとすぐに、誰もいないバス停に後続のバスがくるのだから。乗り込んでくる人も、ほぼ、まぁ、いないことだろう。

 

慌てて乗車せずに、あの状況を、あの場の行く末を、考えることが出来たなら。私もあの子供らのように悠々自適に信貴山朝護孫子寺へ向かっていたことだろう。チッ。

 

私はあの日。朝の通勤ラッシュ時に、地下鉄がトラブルで止まった時のことを思い出していた。

ホームには人で溢れかえっていたのだ。

 

数十分後に電車は動き出し。

ホームの人は、すでに満員状態でやって来た電車に乗り込んでいく。皆、我先にという感じであった。不思議ともう入れないだろうと思えた割に、乗車出来ていた。為せば成るのだ。

 

 

その時、私は、ホームに残り。生真面目た勇者達を見送った。

電車が遅れてくれているので、私も遅れていくことに決めたのである。

 

見送ってすぐ。

ガラガラになったホームに、ガラガラの電車がやって来た。

 

毎日立って通勤しなくちゃいけないのに。その日は、悠々と座って出勤することになったのであった。

 

ラッキーと思いつつ。

真面目な人が馬鹿をみているようで、何が正しいことなのか。そして何が幸せなのか、しみじみ考えることになったのであった。

 

今回もなんか長くなってしまったのだ。

なので続きは次回の講釈で。

 

つづく