かがやん写真館

撮ってきた写真に 言葉を添えて…。

ちょっと奥の院へ…その6

ズラリと並んで、お地蔵さん。

今日も朗らか。

いつも穏やか。

 

花見ならぬ墓見をしているわけではない。

けれど、杉の木の隙間をぬって、日差しが射しこみ、キラリと光っている幻想的な空間を見つけては足を止め眺め、写真を撮る。

 

と、

ま、

だいたいお地蔵さんや墓が写りこむ。

 

お地蔵さん達には、写真をとってから、賽銭を置いてお礼をもうしあげてたのだ。でも、お墓にはあまり何も言わない、思わないようにしていた。

 

「他人の墓は拝むものではない!」

幼い頃からそう教わっているので、って他人のお墓を拝むことなんて、間違ってしまうということ以外ないわけであるけれど。幼い頃って、ついついふざけてまったく関係のないお墓に手を合わしてしまったりするものである。

 

そんな時は、いつもやさしい親戚も、そんなことするもんじゃなか!と叱ってくれた。他人のお墓に手を合わせると、また来てくれるとずっと待ってると言うのだ。そのような期待をさせてはいけないというわけである。

 

だから、お墓参りの時。

手持ち無沙汰になると、買ってきた爆竹に火をつけてはパンと鳴らし、陽の扱いにビビることなく慣れてくると、パパパパパパパパパパパパンッてな具合に鳴らしまくって遊んでいた。

 

あれ?

そういや~。

最近の子供って、爆竹鳴らして遊んだりしないのだろうか?

 

私はヤンチャな方ではなかったが。それでもやっぱり爆竹は鳴らして遊んでいた。弾が出ないピストル…引き金引いたらパンって鳴るのもあったし。ロケット型の先端に火薬を仕込んでただただた投げて、パンって鳴らして遊ぶってのもあった。今、思い返すと何が面白いのかわからないけれど、よくそんなので遊んでいた記憶がある。

 

そんなことしている子供を、ここ数十年見てないような気がする。

 

考えてみれば、そういうオモチャを売っている小売店おもちゃ屋さんや駄菓子屋さんがなくなってしまっているのだから。今の子供たちは、手に入れる、触れるチャンスがないのかもしれない。

 

それがこのご時世では、良いことなのかどうなのかわからないけれど。

私自身はさみしく思うのだ。

 

ま、

今はもっと高度でかつリアルなオモチャが売られているから。

幼い頃の私からすれば、今の子供たちがうらやましいかもしれない(笑)

 

そういやぁ。

おまけ付きのお菓子。

付録付きの雑誌。

 

安っぽいけれど、いろんなオモチャがあったことを思い出してきた。

 

赤い色したレコード盤が付録でついてて、一緒についてる付録のプレーヤーをせっせと作っては、手動で回して音を鳴らして聞いてたこともあったような。

 

 

っと、

そんな話を交えながらも、御廟へ向けて進んでいく。

 

ほんと、すれ違う人のほとんどが外国人。

この雰囲気の良さを、日本人よりも外国人の方が理解しているということなのだろうか。

 

 

御廟橋から先は、撮影禁止区域になる。

 

もし撮影可能なれば、いろいろ撮りたいのだけれど、神聖な場所、特に信心深い人にとってはとっても重要な場所になるのだから。これ致し方なしでなのだ。

 

当然この区域では、脱帽。

私のトレードマークとは言え。ここは素直に従う理解ある大人である。

 

 

すこし人が増えたとはいえ。

まだまだ全盛期の時に比べれば、ゆったりと御廟でお参りすることができた。

 

御廟の弘法大師さんがいる部屋の前、ろうそくの火や線香の煙が揺れるのを、腰かけて眺めつつ10分ほどぼんやりとして過ごす。

満足である。

 

ということで、私は次の目的をなすために行動にうつるのであった。

 

つづく