地蔵さんの無限の慈悲にはかなわない。
汗かき地蔵さんは、衆生の責め苦を身代わりに受けてくれていて。そのために汗を掻いているのだそう。
一の橋からちんたらちんたら歩いてく私。
足を止めてはカバンからおもちゃを出し、セッティングしては写真を撮る。50歳になろうかという男がひとり。すれ違う人たちの目線を感じると、ちょっと我に返ってしまうそんなお年頃である。
「アノオッサン。オモチャヲナラベテ、シャシントッテルネ。ナンダカカワイソウ」
そうすれ違う外国人観光客に思われているかもしれないと、恥ずかしい気持ちにもなる。
けれど、
まあ、
好きでやっていることだからイイのである。
とか、書いときながら。いそいそとオモチャを片付けてその場を離れる私である。
もっと堂々と撮っていても、誰も何も言わないのだろうけれど。
一の橋から歩いて御廟までの道のり。
半分を超えたあたりだろうか?
気分的には4分の3あたりになるかも。
ま、その辺りで短い橋があって、その向こう側に汗かき地蔵さんの祠が見えるのだ。
ここでまずはごあいさつ。
また来ちゃいましたごあいさつ。
そしたこの祠の右横に井戸がある。
その名も『姿見の井戸』
この井戸を覗いて、姿が見えたなら。3年後も生存しているという話である。
ということは…。
姿が見えなかったならば…。
そういうことである。
恐る恐る井戸をのぞき込んだら。
さえないおっさんの顔が見られたので、とりあえずあと3年間は生きていけそうである。もしイケメンの顔が見えたならば、それは別人の顔になるので驚きを隠せないけれど、その場合は3年後生きていて整形していると考えて良いのだろう。って、そんなことはない。
この井戸。
底が2メートルあるかないかぐらいに見えていて。そこに申し訳なさげに水たまりがあるように私には感ぜられる。そのうち水がなくなるんではなかろうかと思ったり思わなかったりしているのだが。なんとかまだ水はあるようである。
皆さんも、高野山へ行った際には、汗かき地蔵さんのトコへ行ってみるよろし。
そして皆で、井戸を覗くとよいある。
つづく。