高野山 壇上伽藍にて
秋色模様に…
2022年10月1日に、高野山をブラブラ歩いてきた時の話である。
早いもんで、高野山へ行ったのも、もうひと月前ということになってしまう。
そしてこの高野山ぼんやりシリーズ。
高野山の大門から奥の院を歩きましたよ~っていう内容を、気楽にかつ愉快にしてサクサク読めるよう書いていこうかなぁというものである。
今回で8話目。
8話目にして、まだ壇上伽藍を出ていない。
きっとだけれど。
私はきっと。
前世のなんらかの因縁かなにかで、話を簡略的にわかりやすく書けない呪いをかけられているやもしれない。私の文章力が人よりも劣っているということではなく。呪いなのである。呪いならば仕方ないので、気にせずに話を続けていこうと思う。
ちなみに昔。
とあるゲーセンで、前世がわかるというモノがあり。
若さゆえの過ちというか。夜中の変なテンションもあいまって。友人と前世診断でもしようぜぇ~となったのである。
我々は、いったいどのような前世なのだろうとワクワク。どのような診断方法だったかはもうすっかり忘れてしまったけれど、診断結果がプリントされて出てくるというモノだったように記憶している。
武将だろうか?
哲学者だろうか?
それとも人間でなくて、妖精的な何か?
動物?虫?などなど…。
どうせゲーセンに置いてあるようなものだから。無責任な適当な診断であろうと思っていたので、わかりやすい答えが出てくると思っていた。
ジジジジッ。
パサァッ。
診断結果を印字して、一枚のペラ用紙が取り出し口へ。
徳川家康とか書かれてるかなぁと思いつつ手に取って見ると。
ヨーロッパ地方の農民。
誰ぇ~~~~~~~~!
それ、
誰ぇ~~~~~~~~!
ということで、私は前世も一般人だったようである。
こうして目を閉じれば。
ヨーロッパの大地に広がる農地が目に浮か…ぶ…浮かんで…こないんだけれど。前世の記憶なんてなくて当たり前なのか。そもそも前世ってあるのか?
ああ、
とにかく、
なるだけ早く解脱できるように日々精進してくのだ。
えーーー。
高野山の壇上伽藍でしたっけ。
壇上伽藍にはいろいろと建築物があって。ひとつひとつじっくり見てまわるというのが、とてもよいのである。ちなみにこれ↑は東塔なのだ。西側に西塔もあり。そちらはシックで渋い感じである。
もちろん鐘もあるのだ。
大塔の鐘である。
鐘の音を聞いたことはまだない。
日に5回鳴らされるようである。
四時、十三時、十七時(夏場は十八時)、二十一時、二十三時にゴ~ンといくらしい。時間に合わせて行くのもええかもしれない。基本、予定通りに行動しない私には、とてもとても難しいことである。
こうして私は蛇腹路を抜けて壇上伽藍をあとに。
大門から歩いている私は、この道は出口のように感じているけれど。
大体の方は、この道から壇上伽藍へ入ってく感じになるのだろうか?
この写真↑で言うと、この蛇腹路の先、右側に大きな駐車場があり、左側に金剛峯寺があるのだ。
ということで、今回はココまで。
次回には奥の院の話になるはずである。
この高野山の思い出話が冬を迎え、年を越さないことを祈るばかり。
追伸
今日は天気が良かったので、また明日香村へ。
飛鳥大仏さんに会ってきたのだ。
この話も年内に書けることを祈るばかりである。
おわり