常喜院、前からこっそり撮る
こないだ行って来た高野山の話の続きである。
バスは程よいほどの乗客率だった。行きはいつもこんな感じ。帰りのバスがいつも超満員で、その後このまま皆ケーブルカーへ乗り換えて下るのかと思うと、気が滅入ってくる。が、この日の帰りはどうなることやら。
バスは最初の停留場『女人堂』へ。
グネグネでガタガタの道を慣れた感じでスーーッと進んでゆく。けれど車内はガタガタッガタガタッと大きく時には小さく小刻みに揺れている。変わりがないことを私は嬉しく思い。高野山へ来たのだなと改めて感じた。
私は何度も高野山へ来ているけれど。
実は女人堂には一度も立ち寄ったことがないのだ。
大門スタートが当たり前になってしまっているので仕方ないのである。ま、別に大門から回らなアカンというわけではない。
毎朝、弘法大師さんはこの門をくぐって、下界の我々のトコに来てくれているらしい。良く知らないけれど、結界的な意味もあるのやもしれないと感じるので、大門を正面からくぐって、高野山を歩いて回りたいという。私の幼気な心意気なのだ。
で、帰りに寄ろうと思うのだが。大門から奥の院まで歩き、みやげ物屋さんを回ってから、ギュウギュウ詰めのバスに乗って、女人堂で下車するというのは、なかなかできないもんなのだ。ま、つまり、帰る頃には面倒臭くなってしまうのである。
その昔、高野山は女人禁制で、女の人は女人堂までしか来れなかったと、なんかの本で読んだような気がする。もともと修行する場所で、修行する僧侶が男ばかりだとすると、そういう決まりが出来てしまうのもうなづける。
私は女人禁制の場所での修行など嫌なのだ。
嫌なのだけれど…。
なんだろう…。
現在の生活する中で、女性の…、特にピチピチギャルの存在が皆無である。自然な感じで、無理に意識することなく修業しちゃってる状況なのだ。泣いていいですか。
ということで、
私は大門に向かうべく、奥の院行きのバスに乗ってしまったので、途中で下りて大門へ向かわねばならない。
女人堂で降りて歩こうかとも思ったが。それでは結構な距離があるかもしれぬと思い。もうしばらく乗っておくことに。私の記憶であれば、役所みたいなのがあるトコで、分かれ道があり、左へ行くと奥の院、右に行くと大門、とインプットされている。私のあてにならないカンピューターがそうささやくのだ。
女人堂をまたもやスルーした私は、どこらへんで降りれば良いのか、周りの景色を見ながら考える。
チョットしたら次は警察署前というアナウンスがあったので、私はそこで降りることにした。なんとなく役所の近くには警察署があるイメージだったので、降りたのだ。
ま、結果から書くと、ちと手前で降りてしまった感じであるが、それはそれでいいのだ。
ただ、思ったトコと違うので、どこに行っていいやら迷いそうになったが、近くにたまたま地図の掲示板があり、現在地を確認。周りをよく見渡すと、金剛峯寺・霊宝館⇒と書かれたモノを発見。そちらに向かうことに決定。
右手にちょっと秋の気配ただよう森林を見ながら、その道をまっすぐ歩いてテクテクと、すると金剛峯寺の横に出た。
そして金剛峯寺前にある広い駐車場みたいなトコを抜け、壇上伽藍をさけ、常喜院の前を通り、一般道の方を歩いて大門へ向かった。つまりは、霊宝館へ行く道を歩いていたことになる。
この道を道なりに進めば、大門である。
おわり