お寺の門をくぐれば、写真は撮らない方がよいのかなぁと思ってたのだ。
高野山の奥の院では、手前の橋を渡ってからは、神聖な場所ゆえ、写真などの撮影は禁止という看板が立てられていたからである。
私はもう何年前かも忘れてしまったけれど。空海さんのことに興味を持ち。高野山にも年1で行っていたのだ。ココ数年は、災害や家の事情やコロナのこともあって行けていない。
ということで、宝山寺さんでも敷地内でカシャカシャと撮影しない方が良いかもと考えていたのだ。
が、
奥に進むにつれ、
別に撮ってもええんではないかい?という感じになり、
我慢できずにとうとうカメラを構えてしまったのが、この記事の最初の写真である。
宝山寺さんは、ご利益がえげつないらしく。ご利益を得るべくいろんなトコからやって来るらしい。 それは、お寺内の雰囲気でもよくわかる。
ただこの日は、比較的人がまばらで、お寺さんの経営的には厳しいのかもしれないが、私的には、ゆっくり回れて好都合であった。
誰も好きな人はいないだろうが、私は人一倍に混雑とか行列というのが嫌いなのだ。
だから映画館に行っても、いつも最前列の真ん中を陣取って、スクリーンを見上げて観ている。もちろん連れがいたら別の話である。連れがいたらね…。
ちなみにここのお寺さんは、お参りするトコがメチャンコ多く。おそらく手持ちの小銭では足りないはずである。普段から10円玉100枚持ち歩いてますという人はいないだろう。じゃら銭で100枚は重い。銀行で1本50枚のモノに両替しても、それが2本。まとまっているとはいえ、重いもんは重いのだ。
ま、前もって持って行ってもよいのだけれど。
このお寺には両替機がキチンとシッカリ、チャッカリご用意されているのである。
この最初の写真で言うと。右の方。
進行方向で言うと。入って来て左手にある売店の前に両替機があるのだ。
だから重い思いをして小銭を持って行かなくてもいいのだ。
両替機で両替しまくってお参りしまくって、ご利益ご利益である。
ちなみに私は、両替機に気が付いたのは帰りのことだったので、ありったけの小銭を集め、厳選に厳選を重ねてお参りするトコを決めてお参りした。
ちなみのちなみに私は、お参りの時に、お願いはしない。ご挨拶をしている。
それはなぜかというと、金銭運と恋愛運は皆無であるけれど、基本強運であり。これまで運だけで生きてきたと言っても過言ではないこともないのだけれど。常日頃、私は運がええなぁ~ついてるなぁ~幸せやなぁと、どのような状況でもギリ大丈夫な感じで生きてこられているのだ。何とかなるのである。
だもんで、神様でも仏様でも、お願いする必要がないのだ。
ということで、ゆったりとのんびりと仏さんや菩薩さんや明王さんにご挨拶をしつつ。奥へ奥へ上へ上へと進んでいった。
人が多かったなら。
この先には行かなかったろう。
大塔って、どこにでもあるのだね。
高野山の根本大塔よりは、小ぶりだけれど、大きさじゃないよねぇ。
本当にこの日はええ天気だったのだ。
大塔の前から撮った写真やったかな?
大塔から先に上って行くと、弘法大師さん。つまり空海さんが祀られていた。空海さんはここでも修行していたようである。空海さんはいたるところで修業をして伝説を残して、祀られている。高野山に行けていないので、ココでご挨拶出来て感無量なのだ。
うれしくなった私は、ココロが踊り、写真を撮り忘れ、じっくりと眺め眺めてからたちさってしまった。行と帰りと2回もじっくりと見てたのに…。
猫もご利益目当てだろうか?
のんびりと寝ころんでいた。
この写真を撮っている時。スズメバチが寄ってきたので、ゆっくりと撮ることが出来なかったのが残念。
一番上に祀られている福徳さんだったか?
福徳さんがいる近くの木に、デンデンムシがいた。
なんだかんだで久しぶりの対面である。
来年は、ぜひ、アジサイが咲いているトコでお会いしたいものである。
宝山寺を出て、ケーブルカーで下りても良かったのだけれど、歩いて下りた。
私より大柄で軽装な男性が私同様、大汗を掻き、息を切らせて歩いていた。この人も、この参道をなめていたのだろう。
ですよねぇ~。
私は、ココロで共感しつつ健闘を祈った。
帰ったらすぐに洗濯をしよう。
私はまっすぐに家へ帰ったのであった。
おわり