法隆寺の東大門とおぼしき門である。
多分間違いない。
この門は珍しい三棟造りっていう、奈良時代を代表する建物のひとつなんだそうである。法隆寺でもらったパンフレットより。
大宝蔵院でお宝を見てまわり。ええもん見たわいなと思いつつ、次なる場所へ移動する。
目指すは夢殿。
私は最初、『ゆめどの』かな?って思い。
『むでん』かな?って思っていたら。
『ゆめどの』が正しい読み方のようである。
漢字の読み方って難しいのだ。
ああ、オータムリーブスなのだ。
名もない~枯葉よぉ~♪
夢殿へつづく一本道を歩く。
西院伽藍の前ほどの人の多さではないものの、写真を撮るには少々気が引けるぐらいの人がいる。だもんで道の方ではなく、壁の方を撮ろうかなと思うと、こういう写真を撮ってしまうのだ。
ただの枯葉、されど枯葉である。
なんか意味ありげだなぁという気持ちで見ると、なんだかほんのり良い写真のようにも思えてきたりしないだろうか?
『枯葉』の曲が頭ん中にゆっくりと流れだしたのだ。
ナット・キング・コールさんの声がココロを和ませてくれる。
壁を見ながら歩いてたら。
こんなのを見つけた。
壁の強度を保つために、瓦が割れたようなのが壁にめり込んでいるのだろうか?
夢殿の入り口、四脚門の前の道を撮ってみる。
撮っている私の後ろには、多くの観光客がいる。
とにかく人が写りこまぬように気をつかう。
そしてこれが、四脚門というらしい。
この門の説明は特になかった。
でも、ま、きっと奈良時代のもんなのではなかろうか。
知らんけど。
人がいないその一瞬を逃さない。
このチャンスを、けっこうな時間待ったのだ。。
仕方ないね。
それにしも、この日はとてもええ天気だったんだと思った。
ここの手水舎は、コレ、火の鳥かなぁ?
法隆寺境内にはいくつもの手水舎があってか、ここで清める人は誰もいなかった。
きっと皆、ココへは最後に寄るためだろう。
ま、
知らんけど。
係りの人にチケットを見せご入場。
人が多いので天井を撮る。
ナニ造りなのかわからんが、きっと歴史のある建物なんだろうというのは、わかるのだ。
係りの人に、夢殿の全体の写真を撮ってもイイですかと聞いてみたら。
快く快諾してくれて、あそこからだったら全体がキレイに撮れるよとアドバイスもしてくれたのだ。
ありがとう。
係りのおっさんさん。
ということで、その場所へすみやかに移動。
けれど、
夢殿の中を見る人たちがなかなかひかない。
絶えず誰かがいるのだ。
中を覗いてピクリとも動かない人達、観念して撮る。
ただ、
係りの人が教えてくれたトコからでは、広角レンズしか持ち合わせていない私には少々遠いのであった。
撮らないでいたら。せっかく教えたのにと係りの人がガッカリするといけないので、キッチリバッチリ撮りましたよという姿を見せつけながら撮った。
でも、まぁ、近くで撮ったら完全に人が、誰だかわかるぐらいに写ってしまうので、撮れなかったのだけれど。
現象で、人を消すこともできるのだろうけれど、なるだけそういうことはしたくないのだ。
ということで、夢殿の局部を撮る。
コレは取っ手か、はたまた錠を閉めるためのものか。
って、
はたしてコレは、扉だったろうか?
記憶がアイマイミーでなのだ。
こういったモノならば。人が写りこむ心配もないのだ。
どうだろう。
夢殿へ訪れたことのある人も、こんなトコをマジマジと見ることもなかろうから。きっと新鮮に見えていることだろうそうだろう。
夢殿の横にこういう建物がある。
もしかして、ココが聖徳太子さんが住んでたトコなんだろうか?
間違っている可能性大、私の思い違いが大いにあるけど、確かこの辺に聖徳太子が住んでいたとかって読んだことがあるのだ。
もともと飛鳥の方から黒駒に乗って通勤してたらしいけれど。勤務地である斑鳩へ引っ越してきたとかなんとか。
夢殿を出て、すぐ近くにある中宮寺へ。
ココには別に拝観料を納めないといけない。
人も多くなってきたし。
さほど興味もなかったので入り口だけ撮って退散した。
私は今回、法隆寺が観光地であり、修学旅行生などもわんさかわんさかワッショイワッショイとやって来るトコであることを認識できた。
こんなに人が多いトコは、きっともう来ることはなかろう。
ちなみに朝一番の8時に行けば、まだまばらで人を気にすることなく建物などを撮ることが出来るだろうと思う。平日ならばなおさらね。
あ、そうだ!
もしかしたら実物大聖徳太子御開帳のタイミングであれば、また訪れるかもねぇ~。
もちろん朝一番に。
おわり